大げさな話に聞こえるかもしれないが
「はなし」や「ネタ」を
「させる」搾取というのも存在している
それが「自分にとっても実りある関係」であると感じるなら
私はそれでいいと思うが、
「そうでない」なら一度止めた方が良いと思う

とあることについて深く考えるとき
「自分の意見」といえるものは短日ではできない
私は一年かかったりする
思想になるともっと時間がかかる
うわついて、たんに出るものほど
「だれかのことば」で話してる
私はそういう「こえ」が好きじゃない
「すぐに話すこと(はなせること)」にそれほど価値はない
群れの。はなせること、あおること、
あおられること、そうしたことはモーションにすぎない
「バズる」は、たんなるモーションだなぁ、ということが
とても多い
AIもおなじ。「うごいています」そうですね。
創作、創造とは違う流れだ

たまに何十年生きてきて味わったことが
ぽろりと言葉になる人もいる
熟成がその後ろにある
それはとても味わい深い
今は逆の「こえ」が多い
アイディア(あるいは創ることとか、ネタとか)
「バズるようにすること」「すぐにそうすること」で
消えていくものもある

・・・
前も書いたけれど「モモ」の「灰色の男たち」めいたものが
暗躍しているのがわかる
そうだね、時間の搾取だね、と思う
あるいはアイデアの、想いの
エネルギーの。
「だして」「かいて」「はなして」「バズらせて」
「ほらこういうのがバズってるんだよ」だからなんだよ。
灰色の男たちは創作ができない
人まねしかできない
AIがでてきて嬉しそうだった。
考えることも、つくることも、AIでできるって
うれしそうだった
気づいていない、無自覚な、そこのほう
むなしそうだった
・・・
「ためること」
あるいはゆっくりやること
自分の中にいれて出さないこと
考えること

自分の頭と心で考え、自分の手でつくること
自分の声で話すこと
誰でも真似から始まるっていう
真似しかできないままなのはなんで?
アイディアは発露が創作だという
大切な想いの路で、そこで練るには
独りの時間が必要だと思う
・・・
絵は昔描いた絵、
花の絵を描いている私の中に
そうした私も、ちゃんと息づいている
そのうち出していく