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不思議レポート

ブラックシャーマニズムの神髄と、不動明王の生霊返し



温かな水であり、穏やかな焔であること

ブラックシャーマニズムの
良い例がないか
探していたら

ちょうどよく
不動明王の「生霊返し」の
神呪がみつかりました


Wikipedia不動明王の生霊返し


ブラックシャーマニズムは
このようなことです
(守護と、破魔)

シャーマニズムは
人間の霊性ですから
かならず、神とともにあり
神への祈りとともにあるものです

真心と、親愛とともに

……

そこに我欲、穢がありますと
己の骨、魂にかえります

……

この神呪は
親愛なるものをまもるこころ
邪悪から護るこころ、祈りをもって
活きるものです

……

ところで

不動明王(元シヴァ)さまの奥さんは
弁財天(元パールヴァティー)さま
なのですが

不動明王さまは焔であり
弁財天さまは水でありますね……

かれらが、ながく
親しまれている理由が
なんとなくわかる気がします

……

焔と水は、魂、
人間の真のところにあり
そこには、神のみのりがあり
そこに、霊性の場があります

こころ、温かでありましょうか

そこには、水と焔があり
そのまわりには
木々と土
風と金(みのりのさま)があります

……

こころのなか

灯火をともし
水がひえないように

水面しずかにし
鏡として、己をみつめ
よごれていたら
あらいながして
己を清め



いっさいの汚れをもやしつくし
そこにおくことがない

……

この生霊返しの神呪は
この、魂のうちの
焔の特性を
あたたかにするものです

邪悪な念や、生霊や呪いは
冷え込んだ、とても冷たいものです

己の焔を
あたたかに灯すと
(見えない)気流がうまれ

冷え込んだものは
その気流のなか(命)には
たどり着けなくなります

……

まもりたい、という気持ちは
温かなものです

不動明王さま、
弁財天さまは
ちゃんとそこにいらっしゃる

見えない魂です

彼らにも、あたりまえに
良きものたちを
「護りたい」という
慈悲慈愛が、真に、活きてあります

……

本来のシャーマニズムは
この真理にもとづくものですから
温かなものであり
慈悲慈愛がなみなみとしているものです

護りたい、というのが
ブラックシャーマニズムの真髄
癒やしたい、というのが
ホワイトシャーマニズムの真髄、
心理とでも、いいましょうか

おおいなるものは
慈愛の大龍であり
良きものたちを
深く愛されている

学びあう為の、
異なりや差異をもつなか

他人や世界への愛に
心がヒタヒタと、なみなみすることは
難しいことです

それでも

もしも、おおいなるものと
おなじほど
他人や世界を愛したなら
そこにシャーマニズムは具現します

……

慈悲慈愛のもと

水と焔の性質を
ほどよく生きていきたいですね
2018-01-18 16:42:56
不思議レポート

力のあるものの修行、ブラックシャーマニズムの真髄



力を持つ意味

力を持つものは
責任が問われます

……

ほんらいのブラックシャーマニズムは
攻撃性、悪魔性を
おとす、しずめるためにあり
己のそうした面と
向き合わなければ
開花しない霊性です

攻撃性、悪魔性を
つよめたり、暴走させたりするために
宿るわけではありません

(それは垢穢にすぎず
己の心場で、そうした心力と
向き合い、落とし方、鎮め方を
まなぶために現れるものです)

……

ちから、は
自覚と制御がとれて
はじめて美しいバランスを
たもちだします

暴走したり、
力にふりまわされるうちは
まだ、力を使えている、ことには
なりません

そうした方は
使って奉仕(仕事)をしてよいという
許可もされていません

車に振り回される方であれば
ほんらいは、
免許はあたえられませんよね

能力で社会と関わっても良い、という
許可を与えるのは
天界ですから、もっと厳しいです

無免の方や、
能力の制御、自覚がなく
振り回されている方に
お金をはらうことは
無意味なので
よく見抜いて、
回避されて下さいね……

……

ホワイトシャーマニズムと同じように
このシャーマニズムにも格があり

ホワイトシャーマニズムの
わずかな具現をもつかたが
光や愛であることに酔いしれ
逆に、醜さ弱さを「ないこと」にしたり
様々な思い込みや行為により
落ちていくように

ブラックシャーマニズムも
わずかな具現をもつかたは
たいてい、その攻撃性によいしれ
それを暴走させること(念や生霊、呪い)が
力だと誤解されることが多々あります、

しかし、
本来のブラックシャーマニズムは
その己の攻撃性と向き合い
対処力を培うことにより
他者のそれをも
対処できるようになること
ほかなりません

本来のホワイトシャーマニズムが
弁えと献身をもつ、
神々と生命のための生命力であるのを
自覚されているのと
おなじようなことです

「人の役に立てなければ
なんの意味もない」

力はそのようなものです

たとえ力に見えても
心とともに、磨いて、御せて
はじめて役に立てるもの
(どんなものもそうですね)

力に呑まれて、酔いしれて
依存しているのなら
役に立たない、意味がない

神々は「力をもつもの」に
厳しいので
そうした人たちは
容赦なく放任され
無意味なことを求めているよ、とは
教えてはくれなくなります……

(友達は教えてくれるかもしれません)

……

ブラックシャーマニズムは
気に入らないものや
敵にぶつけるもの、
そのためのちから、
では、ないのです

その真髄は、
どこまでも親愛なるものに
むいていなければなりません

ホワイトとおなじことです

エネミー(害悪)に
思えるものに
こころは、向けていては
いけないのです

どこまでも
親愛なるものに向ける

護るための心の場、
あるいは心愛に
芯をたてられなければ

おちていく

ホワイトでも、ブラックでも
かわりなく、
そこに芯がないなら
迷宮のなかで、
道筋がたてられないのと同じ

……

ブラックシャーマニズムは
いわば、
守護と破魔のちからです

ホワイトシャーマニズムの真力が、
真愛からあらわれる
神の治癒や、神の導きのながれ
そこに至らないとき、
能力者こそが
低俗なものの傀儡となるように

悪いエネルギーの破魔にいたらない
ましてや己の悪意すら
破魔できないものの
ブラックなシャーマニズムは
低級霊のえじきです

……

ところで
最大のブラックシャーマンが
よくおこなわれる
ブラックシャーマニズムは
ブラックユーモアだそうです

悪意の滑稽さを表にし
悪意やどすものに
その惨めさにきづかせ
なおかつ、
笑いにかえてしまうんですね

すざまじいことです

……

しかし、こうした能力にかぎらず
すべての能力もおなじことで
ちからは、どんなものでも
「誰かに真心をささげる」とか
そうしたことのために
開花するのだろう、と
私は思うのです、

心を表現したいから、というか

ここでいう「誰か」は
誰でもいいのです
自分だっていいのです

ただ
ちからは、「ちから」であり
それは己を飾るための
たんなる飾りではないんだと
思うんです

飾りとか、
二次的なものを求めていると
いつか、能力とは
別の道に迷い込んでしまう気がします


無意味なものを求めないように
生きていきたいですね……
2018-01-17 11:03:53
作品について

「仏陀とブラックシャーマニズム」について



>> 絵本へ

「人間が嫌い」というのは
見たくない闇なのかもしれません

「愛」というのは
そんなにたやすくいないです

それは「感謝」でも「やさしさ」でもなく
自然にそうした気持ちが沸き立つ
(意識でも概念でもなく、自然に)
状態です



意識しないとできないのはなんでか知っていますか?



「仏陀」はこの世にたくさんいらっしゃいます

「人間が嫌い」だったときや
「人間が嫌い」な自分を
覚えているかな、と
私は思います……

「仏陀」や天につながる方は
神聖をあじわいますから
邪悪を嫌悪されます

それは「人間嫌い」と化します

私の知る仏陀も、そうでした



「ブラックシャーマニズム」は
「敵意」でも「悪意」でも
恨み、憎しみでもありません

己の、身から生じる
「敵意や悪意」と向き合い続けた結果
あらわれる霊性

「周りからをも、落とせる」霊性です……



神がやどるのを、「人間の霊性」といいます



人間って面白いですよ
2018-01-15 14:32:14
不思議レポート

失わないでおきたい己の目



私は多くのことは、わかりかねますが
賢明である行為というのは
見えないことごとには
とても大切になると思うのです、

それでも私は、
賢明でありつづけることは
到底無理なので、下の2つを
忘れないようにしています


身の程を知ること
また、相手を知ること

……

私の世界とともにあるかたは
見えない世界でラグナロクがあり
悪意、敵意が一掃されるため
現実には、争いが消え果てていく
そのように進化していく世界です

そのため、見えない界隈は
かなり入り乱れて
たくさんの流れが
混沌とし、うずまいています

悪意、敵意の源である
侵略者エイリアンと、悪魔は、
私達の同士討ちをねらい
また、私達をつかい
私達をおとす(金銭をうしなわせたり
幸運をうしなわせたり、
本来もたらされる閃きや知恵といった
最大の宝物をなくさせ、
才能をうしなわせたりする)ことを
つねにねらっています

侵略者エイリアンはとくに
そうした行為を好むようです

「友好をつたえながら」
何かを奪い続けようとするのが
侵略者エイリアンと
その傀儡さんの特徴です

……

見えない界隈の、現実の多くは、
あかされていませんし、かたられてもいません

(それは精神論ではなく
見えないだけの、現実の話です)

それは「自己責任」
己を持って理解しなければならない、
というのが
この世界には常々そこにあるからです

厳しい話ですが

己で把握することをやめ
与えられたことを鵜呑みにする方は
正直、もう、今の流れからすると
たいへん、古い、
その有り様が、世界に遅れてるんですよ……

(ダサいとかではなくて
見えない界隈にふれながら
そのようであるなら
見えない流れに
対処できなくなると思う)

……

ラグナロクを劣悪とする世界を
エイリアン方々は、構築されました
「争いのないこと」
(=侵略エイリアンや
悪魔といったものたちとも
ともに歩むこと)を
平和とされました

悪意敵意がないこと、
闇がないこと、を、
平和と思う方は
すこしだけ、このことに
ご自前の思慮を
さかれてみてください

ないことにすることと、
なくす(きよめはらう)ことは、まったく
違う作業となります

……

知ろうとすること、は
思考停止とは、真逆となります
思考停止しているときは

やたらに、既知の概念に
すがるようになります

とくにブログなんかは
そんなさまがあらわれやすい

ふと振り返ったとき
思考停止していることや
煽られたり
流れから
はなしている、ぐらい
わかるんじゃないかな、と
おもいます

ふと、振り返ることを
しているなら

……

ことば

己のことばに
己で、ふりかえるひとは
そこに、
神の助力があらわれる

つねに、あなたが
あなたを振り返る、なら
あなたの口から
あなたから
あらわれること、が

その時、その都度
あなたをたすけ
あなたに助言し
あなたの力となり

よき友のように
あなたが、あなたを助けられるようになり
あなたと、あなたを通り降りる助力の
二人分のちからで
歩めるようになるでしょう

……

自分を知ることは
百戦をくみかわすより
もっとも、己の実になり
己の助けとなります

また、どのような方であっても
向き合った相手を知ることは
相手とかかわるうえで
やはり、己の実となり
己を助けてくれます

現実をみる、とは
思い込みにすがらないことです

他人であれ、ことごとであれ
そうでないことや
そうであることに「すること」は
現実を見ることではありません

思考停止であり、
そうして、
そこにある概念に縋ることです

現実をみることが、
グランディングです

……

どうぞ、自前以外は自前でないこと
世界は確固たるものではなく
混沌にあることを
わすれないで、
お気をつけていらしてください

もしも、なにかあったら

一度、たちどまり、
ふりかえり
流されていないか、確認したり
状況を、見直してみると
良いかもしれません

現実をみて、知る

頭や気持ちではなく
己の知恵と能力、いのちを
うごかしてみること

大切にされてみてください

……

己が停止していないか、時々確認し
停止していたら、活をいれる
そんな感じでしょうか

……

己を磨き
己をもって、世界につくし
己をこそ、振り返る方は

かならず、
その身の力は深まりつづけ
その身から、あらわれることが

まわりのひとも
おのれのことも
助ける力になります
2018-01-15 12:51:10
不思議レポート

目は口程に物を言う(目線の話)と魚心あれば水心ありなこと



水心あれば魚心あり

わたしは法則のようなことは
わかりかねますが
上のことばのようなことは
この世にはあると思います

見えないものの
おとずれや
人や命とのお会いすること
あるいはなにがしかの
「知識」にめぐりあったり

これすべて縁といわれますが

縁のながれは
欲が欲をよぶ、とか
波動により異なるとか
そんなこともあるのでしょうが

わたしには
己心にひたひたと満ちる


その水の性質(たち)、状況

心の水により
魚があわられる

……

たとえば
願いを叶えてくれる、という
ものがあらわれたとして

その起因が

「欲」というのはわかりやすいし
「波動」というのもわかりやすい

しかし、ほんとうのところは
「心の水」ということもあり……

たとえば

部屋は、住むものの
心模様をあらわしやすい、と
いいますが

ひとからみて
どんな部屋にみえたとしても
そのさまが
そのひとの欲とはかぎらず、
エゴとも、堕落ともかぎらない……

他人から見て無駄なもの
無意味、無価値なもの
あるいは「劣っている」ようにみえたり
「わるいもの」に見えたりするものが
そのひとが日々、生きて、過ごすには
とても甚大な意味や価値をもっていたり……

心の水、は
そんな風で

見えないものと
ひとをみるたび
わたしは
そんなことを思うのです

……

なにごとも
あんずるより
うむがやすしと

言われる通りだなぁ、と
おもうのです

いつも

あたまがめぐらせることは
からだが行えることより
残念だったり
残酷だったりするなぁ、と
思います

……

「目線」は
目ほどではないですが
その人を教えてくれます

「なにをみて」
「なにを思ったか」には
そのひとの本性のようなところが

わずかでも

窺い知れる

……

わたしのブログでも良いですが
(もしかしたら、ほかのひとのより
わかりやすいかもしれません)

「目を見るように」
「その人の目が、とらえているものと
対象への気持ちを見て取る」と

そのひとの目を見るように
そのひとがわかるかもしれません
2018-01-04 07:22:27
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