Series: 豆知識&やり方 神様と雑談 神さまのことば 日常徒然 挨拶 作品について 不思議レポート 不思議な話 不思議な光の話 不思議と徒然 ラグナロクの話 ヒーリングと徒然 スピリチュアル エネルギーの物語 これからのこと
Year: 2020 2019 2018 2017 2016
いま、神々は
善の幸福に
むけられた祈り
こころの祈りのみを
うけとられています



神社とか、聖域というのは
むすびめであり
そこにあらわれる
神様というのは
ひかりのおんもとから
「そのひと」と
むきあうかたちで
あらわれる

善人にあれば善神があらわれ
悪人にあれば悪神があらわれる

あらわれる神威、は
「そのひと」のうつわにより
ふかければ強く
あさければ弱い

悪神は期限と代償をもとめ
善神は愛、真心、敬意
行をもとめられる



「問題」は
他人にはない
ひとりひとり
「そのひと」にある

だから、そうなっている

他人に問題がうつるうちは
問いかけを
とくことができない



この世の、もっとも恐ろしいことは
身から出た錆びであり
それは、多くの厄災よりも
意味深く、あがらいがたい厄災を
もたらしてくる



いまから記す方々には
共通項があります
でもここでは明かしません

その方々は、どんな職で
どんな風に生きていても
神使いなのです

神が、もともと、うまれで
つかわしていらっしゃるのです

たとえ、道なりに
多くのことがあっても
かならず
報われ、幸福になります

それは
預言で伝えられてあるとおり
「命の書」に
名がある方々なのです



ただ、妬みそねみをうけますから
謙虚に頭をさげることを
されてください
まなぶことを
されてください

たとえ、そうできなくても
そうしてください

なぜなら、報われることを
知られているからです

それだけでもう、
闇底には
妬みがうずまいているのです

妬みのおそろしさは
憎悪よりも、ひどいのです

ちいさなものとして
頭をさげるなら
そうした「目」に
みつからないですむのです



心はつねに学び足りない

この世は
親愛なる神様からの
慈悲深い、
知恵と心根のちから
つけるための命処

いきづくのは巨大な教師で
厳しくも慈しみ深く
いつまでも
知恵がつくまで
心根がふかまるまで
魂が磨かれるまで
根気よく
むきあってくる

神さまに手をひかれる
幼子のようにするとき
なぜなのか、が
道ひらいていく



そのひとは
そのひとであることを
喜ばれます

なにものでもなく
己として
己の心根からわきいずる善きこと
それを育むことが
もっとも、喜ばれます

それが、いろんなかたちで
この世の善をちからづける
そういうふうに
できているのです

ですから

他人ばかりを観たり
他人に尽くしすぎたり
することをやめて

貴方をいきることをされてください
2020-08-25 11:43:28
わかれていく世界の
未来も、みえないところのことも
できるかぎり
みないように
繋がらないように
されてください

自身のエネルギーが
ぶれないように。

未来をみたとき
それが、自身の世界の未来なのか
エネルギーをみたとき
自身の世界のエネルギーなのか
きちんと、確認することが
必要かもしれません



もうすぐ
この世界では
不思議なことがおこり
それから、どんどん
不思議なことばかり
はじまります

それからようやく
真のことが
あらわれてきて
世界がながれはじめます



祟りは現実的なことではないし
理由や理屈が
解明できることではありません

いまきているモノは
たんに、世界の変わり目で
エネルギーが強烈に
切り替わっていっているので
そうしたことが
現実に触れて、肉体に触れて
そうして
あらわれているものです

夏から冬に切り替わるように
冬から春に切り替わるように
世界が切り替わっていってる

そうして
そのエネルギーは
季節がかわるよりも
もっと、とんでもない

だから
体調を崩しやすい、
それが、強烈に
全体に
あらわれている
それだけです

祟りのエネルギーではありません



祟りは、
人間が読み解けるかたちではありません

不可解で、解決がない
不思議なこと
そういうことが
あらわれます

鬼隠し
見えないものに喰われる
変位変質

原因が人間界にないので
人間の理解はおよべない

祟りは、祝いとともにおこなわれます
善人が巻き込まれないように

これから、不思議な時代がおとずれます
2020-07-27 05:03:13
祟りと祝いは
表裏一体の関係にあります

戦後まもない頃
艮の神を名乗り
出口さんにおりた神様は
ひとが見抜いた名前ではなくて
名乗られた通りの
「艮の神さま」で
祟り神さまでした

かれは、祟りの時代が
おとずれるまえに
助けられるものを助けるために
そこにおりられました

そうして、
命がうまれもった魂をおとさずに
善足る道をあゆむ「心構え」を
伝え残されました

かれは、
ありとあらゆるものへむけて
メッセージを残されました

かれの言葉で
とけない数値や文章があるのは
それが、人間向けの
メッセージではないからです

ああした形の表現を
読まれる「ものたち」にも
善足る道の心構えを
伝え残されているのです



祟りの預言が重要なのではないし
それを読み解いてみることが
大切なのではありません

大切なこと、重要なことは
いつも、神様は
わかりやすい言葉で
伝えられています

「おまえの持っている魂が
闇に堕ちないように
よく気を付けて、
善足る道を歩むこと」

読み解く知恵など
読み解ける才能など
いっさい
必要ないんです

必要なのは
素直さと、謙虚さで
ことばを
素直に、まっとうに
正直に、うけとれば
うけとれる
単純な話なんです

その時代が来たとき
悪にころげおちていかないように
魂を大切にして
善足る道を歩みなさい、と

かれの言葉は
ただそれだけを
伝えられています



艮の神と弥勒の神は
表裏一体です

567は、
善人に降りると
369にかわります

198がひかれるためです

567も、369も
エネルギー数です

祝いに198が足されると
祟りになります
祟りから198がひかれると
祝いにかわります

善人は祟りを納めることができます
それは「ひくこと」が
できるからです

ですから、善人へおりたなら
567(祟りの神)は
369(幸いの神)に
かわられるのです

☆☆☆
†††

666も、エネルギー数です
ただの数値ではなく
エネルギーの数です

6は、
タロットカードでいうならタワー、
ルーンでいうならハガラズになります

「裁かれるもの」
あるいは、裁きを背負うもの
そういう数値です

†††
☆☆☆

人間はほんらいは
369です

だれもが、真心と愛なる
真の魂にあれば
369という
エネルギー数になります

ですから
艮の神は
弥勒の世にあれば
ひとはみな弥勒にかえると
伝えられたのです

よぶんなものが
ひかれたとき
人間の魂は
弥勒、369のエネルギーに
かわるからです

☆☆☆
†††

666は、
7つの大罪です
そのエネルギーを
すべて足し混むと
666になります

罪悪に汚染され
のっとられると
魂は、エネルギー数が
666にかわります

†††
☆☆☆

善なる道を歩んできたなら
祟りを被ることはありません
祟りにならないから

自我をひいて
己を観ることが
できるなら

祟りは、祝いにかわります



今の世の中に
グレーな魂、
中間的なエネルギー数の魂は
ひとりもいません

すでに、各々
つきつめられてあり
いずれかの方に
属していらっしゃる
そういう方々ばかりです
2020-07-22 17:56:43
昔、釈尊が生きて歩いていたころ
信仰というのは
願いを叶えてくれることや
ちからがあることへ、ではなくて

釈尊自身の、こころや
生き方への、
信頼と、
尊さにみちた、
思いのあらわれだった

キリストが
生きて歩いていた頃
キリストへの信仰も
キリスト自身への
あまりにつきぬけた
敬愛と尊さ、信頼の
こたこたとにこまれたような
ことばにつくせないような

そんな、思いだった

キリストがあらわれるとき
神様への信仰
キリストへの、釈尊への
そうした信仰も
よみがえるのだろう
2020-07-17 08:24:03
エネルギーは
ひとりひとりことなります
それは指紋のように
「模様」があります
「気紋」とでもいうのでしょうか

如来さま方々を
みたことがあるかたは
その背に、いわばオーラを
もたれていること
そのオーラには
如来さま
お一人お一人
ことなる模様があることを
ご存知かと思います

天使も、神様もそうです
天使はそのオーラが翼のようです
翼も、お一人お一人
かたちも模様もちがうのです

「ほんとう」というのは
ここにあります
エネルギー時代は
ひとりひとりのもつ魂の
かたち、かおり、もようが
あらわれてきます

気は噴出口と吸引口があります
誰にでもあります
掌にあるかたが
多いのではないでしょうか

見えなかったエネルギーが
みえるものに
かわっていくなかで

その噴出口、吸引口に
「紋」があらわれるそうです

はやいひとは
もうあらわれているとか

色味、おおきさ、かたち
皆違うそうです

それは、たんに
時代があらたにかわっていって
「生命」の体というものも
みえないところで
変わっていっているから

新しい世界に
適応しはじめているだけだから
怯えなくてよいらしい
2020-06-18 17:57:21
分離していく世界の
とおざかる
ひと、ことごと、創作物は
とたんにエネルギーをなくし
影のようにうすくなり
印象がなくなっていきます

不意に目にすることが
途絶えたりもしていきます
不思議な話ですが
気がつくと
覚えていないことや
創作物、ひとがでてくるらしい

だれかいたはず、とか
なにかあったはず、とか
こんなようなものが
あったはず、とか

でもどうしても
思い出せなくなるらしい
それは、記憶が失われたのではなく
みえないところで
世界がわかれて
はなれていっているからです



とても奇妙な話ですが
わかれていく世界の
もの、こと、ひとは
うすくなっていったあと
とつぜんに、なくなります



みえないところで
世界は
これから、
ひとつひとつが
たしかな独立した世界に
かわっていきます

そうして
世界ごとの様子が
あらわれはじめます

その世界に
ないものはなくなり
あるものがあるようになる



なくなるとは
死ぬとか、壊れるとか
そういうことではなくて
けむりのように
世界から消えてしまう

そのなかに
異形にかわり
人を喰おうとするモノが
でてくるそうです

それは
残留した穢れのエネルギーだから
だから
かたちをたもてなくなり
そうなるんだそうです



こちらの世界から
わかれたものことごとく
現実にも
きえていき

ひとのかずも
(厄災がおきるとかではなく
不思議なかたちで)
かなり減る

そうして
神々が具現し始め
善人だったひとたちが
蘇り始めます

いままでのすべては
崩れ落ちていきます
それは
そんな風に
とても奇妙な
不思議に
おとずれますから

現実的な厄災よりも
それほど怖くはないだろうと
いわれています
2020-06-09 16:31:42
ひとつひとつ
仲間たちでつくった舟に
ひとつひとつ乗って
多くの波
小さな波が
繰り返す世界
旅をし、歩んでいく

そういう風な世界なのです

「神様」というのは
向かいあった人の心を
反映します

氏神様に
お札をいただいて
家の神棚に祀る

特別な神棚とかじゃなくて
自然なこと
営みの一つみたいなこと

そうしてお迎えすることは
共に過ごすことなのです

舟の中にいる人たちは
自分たちの仲間です

氏神様から分けていただいた
「神のお心」があるなら
その方も、また、
一緒に旅をする仲間なのです

「神を愛する」人は
神と手をつながれています

どんなこともそうです

ご先祖様も
ただ「供養しているからよい」って
わけではないんです

守護霊も、守護神もそうです
「守ってくれてるんでしょ?」では
ないんです

パワーストーンも
パワースポットも
神社仏閣も
お経も

どんなものだって
どんな存在だって
「守ってくれる”物”」では
ないんです

手をつなげるかどうか

仲間を大切にできる人は
大切にできる

どんな波がきたって
こえていけるのは
そういう己が
仲間とともに
ちゃんと漕いでいる

漕がせているんではないし
守らせているんではなくて

ちゃんと
仲間として
一緒に歩んでいる

そんな旅をしている舟です
2020-06-04 08:25:24
浄めること祈ることは
いままでより
これらとてもたいせつなことになる

見えないし効果がないと
いつもやめてしまうなら
それはダイエットと
似たようなところがあるから

継続して一年越えると
何となく変わってきて
数年すると
よどんでいたことがわかって
よどんでいたときが
ずいぶん前のように思える

一気に一瞬で、というのは
エネルギーのところでも
なかなかない

穢れをためて淀んでいる、とは
川にゴミをためてよどんでいるようなことで
すべてが片付くのは
やっぱり数年かかる

祈りとか、浄めるとか
神社にもうでるとか
そうしたことは
一瞬に力むより
つづけることが大事だ

走ることで言うなら
短距離走ではなくて
長距離走

マイペースでいいから
つづけてみれば
かわってくる
2020-06-02 12:12:22
長い人生
もっとも
長く、逃げられない付き合いは
自分自身との関係にあり

自分というものが
自分を導いて
道を決めていきます

いましていることの果実は
早くて数ヶ月
ながくて数十年後に
実ったりする

行為と結果には
タイムラグがあって
それが
意識が、逃げ場にすることも
踏ん張りにすることもあります



もしも、導きや
道なりのことを知りたいなら
自分自身こそが
それを知っているのですが

そうしたことは
背中をみるのが難しいように
見がたいものです

守護をしてくださる
見えない方々や
神々さまも
たいせつな祈りや
導きを与えてくださいますが

もっとも
繋がりをふかめ
理解を深めていきたいのは

ほんとうの自分と
その自分が、なにをしたくて
なにを歩んでいるのか

今なにをしていて
それは、ほんとうのところ
なぜなのか

なのかもしれません



簡単な、自己判断方として
「手というものは、
ひととつないで
道をゆけるように
己ともつないで
ゆくことができる」
ということが
あります

目は、道なりをみつめている
手は、導きをもっている
足は、進みをになっている

からだ

手のすがた
あるいは、手がしていること
あらわれてくる手の癖には
「行きたい道」が
ともなっていることがあります

いきたくて、いけないのか
いきたいけど、どうするべきなのか
さくさくと歩んでいるのか

もしも進む道を迷ったら
目がみていること
掌がしていること
足のちからと、そのうごきを
かんじてみると

自身のほんとうが
わかるかもしれません



そうした意味として書くと
口は、つたえること
耳は受けとること
鼻や舌は
害毒と無害を察知することとか

そうして、
からだは日々の支えになります

目は口ほどにものをいう、とは
目がもっとも、
世界をみつめ
己のゆくすえを
吟味しているからなのかもしれません
2020-06-01 17:37:37
信仰というのが
ほんらいは
心の奥に潜む
なにかへの信頼をさし
表向きの「しんじている」という態度では
ないことは
先日記しました

祈りというものも
似たようなもので
それは無音のなかにありますから
表向きの「いのっている」という
言動ではありませんし
そこにはなかなか灯りません

イエスさまが伝えていたように
「隠して祈る」ほうが
うんと、ほんとうの祈りに
近くなります



「心の奥の信頼」が
神様に向いていたら
道を踏み外すことも
そうそうはない

「かみさま」というのは
「こころがあること」
「おもいやりがあること」
「芯があること」に
あるからです



「暗がりの時」というのは
あるもので
ひとりひとりにも
全体にもあります

そうしたとき
心は何を信頼しているのでしょうか

そうして
なにを
無音無言に
おもっているのでしょうか

無自覚に
ことばなく
なにを
どこに
捧げているのでしょうか



「かみさま」は
ひとの意識が作るものではないし
人の思考のうえで
把握できるものでもありません

ただ、無音無言のなか
それでも心が
信頼をよせている「ところ」に
つながっているのです

この世を信頼する、とは
本当の神様を信頼することです
この世をたばかる、とは
神様をたばかること他なりません



お祓いも
お浄めも
また、力のある人が
無意識におこなっている
「つたえること」も

さまざまな「かみごと」は
「こころ」とともにあります
2020-05-25 11:31:48
古代に生きていた龍たちは
意志があり、
テレパシーで
通じあっていたそうです

今現代においても
神社の一部では
たとえば馬面とおもわれていたり
麒麟とよばれていたりしながら
かれらがいきづいていたりします

そうした神としてまつられ
崇められている方々は
たいていは
その時代に
いわば悟りというものをひらいた
龍の神魂です



私はもしかしたら
古代の地球は
もうすこし大きかったのかもしれないと
思います

もっとも大きな神龍は
白く金色にかがやき
地球全体にながれるような
おおきなおおきなお体をお持ちです

†††

ラグナロクとは
下の下の虚無のなかから
はいでようとしているものものたちと

上の上の満ち足りる光の中から
邪悪をほろぼそうと
おりてきている
聖なるエネルギー体の

がちんこなぶつかりあいです

そこにはさまざまなエネルギーが
はきだされています

厄災のエネルギーも
はきだされています

†††

たたかいというのは
なんであっても
危ないのです

まきこまれることのないよう
いのられているから
家にいてほしいと
されているのです

†††


☆☆☆

外にでない方が良いときというのは
ラグナロクであるから
どうしてもある

神様はひとをまもりたくおもっていますから
わかりやすいかたちで
人に与えるべきことをあたえ、
すすめられます

普段はもっとずっと
自由を優先されていますが
いまは緊急性がたかいときですから
現実にあらわれているような
そんなかたちになったりします

「云われていることをまもり
正しい知識を
まともな根拠あるところから
よく知って
よくないことをしないこと」

もしも人間が、いま
神様のためになにかができるとするなら
そうしたことなのだと
わたしは思います





天にあります
創造主たる神様と
その配属にあります
翼をもたれている方々は
ひとのかたちに似た
エネルギーの流れを
たましいにおもちです

たましいを根玉にして
エネルギーが
濃くながれ
すがたになります

神様はひとを
己に似せてつくられたといいます

それは、そうした神の分け御霊が
この世へおりるためでした

獅子に似た方も
象に似た方も
龍ももちろん

いろんな
それこそいろんな神々が
いらっしゃいます

ですから
地球には
たくさんの生き物が
いきづいています

ほんとうの神とつながる人は
無意識にそれをしっていますから
いろんないきものに
ちゃんと真心をもたれる

主とは
えらいから主のようにみえますが
じっさいは
みんなを大切にするから
主なのです

その御霊をつぐひとなら
わかるはずなのです

人類は、えらいもののようにみえて
たくさんのものがいないと
生きていくことができない
たくさんの生き物が
ささえていてくれるから
生きているような
そんなものなのです



天なる神々の特徴は
根明で、ほがらかで
おおらかで
ユニークで
はなしが面白く
そして
どこまでも命を愛されている

愛されているから
つねに、命の幸福を祈られている

本心の、たましいの
本性のところに
そういうところがあるひとたちは
そうした神々と
つながっていたりします

笑って
仲良しこよしで
なんだかほがらかでいてほしいと
かれらはねがわれる



もしも
やってみれば
よくなるようなこと
よろこばれることは

いのちの幸せを足すことで
いのちの幸せとは
ひとつひとつの生命が
こころから泣いて
辛いことからほぐれたり
こころから笑って
安心してほぐれたりするようなこと

安心して
わらえるようなこと

それが無理なら
自分の肩を
ほぐせばいい

ほんとうに
こころから笑ったとき
きっと
みえないところで
みえない方々も
喜んで笑ってくれているかもしれない
2020-05-18 19:07:35
無意識のしたのことも含め
ひとは、ひとりひとり
何かを信じて生きています

それは形をかえた神様です

今後、信じている神様により
世界は分離していき
ひとつひとつが
独立独歩をはじめていき
自立していきます



たとえば宗教のように
名前により神様を信じているというのは
思い込みのひとつに過ぎません

脳を動かしたときにわく
【教えられたこと】に
依存しているのは肉体であり
私たちの本当のところにある魂は
うわべの知識は
持っていないのです

本当のところにある魂は
きちんと、さまざまなことを
うわべに依存せず
うけとり
そうして、
生きていくなかで
なにかを信じています

たとえばそれは
友情であったり
お父さんお母さんであったり
愛であったりするかもしれません

それがじつは
神様につながっていて
人間が、人間として
なにかを信じることは
表向きの意識で
くみかえられていても
この世を信じていることにつながり
この世を信じるとは
すなわち、神様への信頼に
つながっているのです



ですから表層の意識が
なにを信じているのかでは
ないのです

真心が、なにを信頼しているか、
それが近いのです



同じ名前の神様や
同じ教えを信仰しながら
なぜ、ひとにより
態度や行いがことなるのか

それは
ほんとうの信仰とは
真心の信頼にあるからです

名前や教えは
うわべの流れに過ぎない

なにかにふれたとき
真心になにをうけとり
なにを信じたのか

そうしたことがつながり
信じていく人の姿やこの世
いのちへのおもいが
なにがしかの神様がつながっていく

ですから
こころに思い浮かぶ神というもの
その教えの印象も
おなじ名前であっても
ひとりひとり、
変わるのです

同じ神様を
信仰しているから
同じ信者とはいえない

真心の行いが同じであるなら
ほんとうに、信仰が
おなじなのかもしれない

そうして、宗教がちがっていても
信じている心や
生命へのおもいがおなじなら
同じなのかもしれない

たとえば
思いやりや
優しさ
良心や
利他愛

そういうことなのです



これから
急に
今のべた
【ほんとうのところの信仰】により
世界がわかれていきます
2020-05-10 17:30:00
鬼の神様は
地獄をおさめられる神様です
日本と外国では
すこし、姿形がかわっています

鬼の神は
悪魔ではありません

むしろ悪なるものたちから
人間と聖なる霊をまもるために
日夜戦ってくださっている神々です

ただ
神の憤怒の面相ですから

いかつく
怒りのあまり
角が生えていたり
色が濃かったり

ことばも厳しく
荒れていて
辛辣なことが多いので
誤解されるかもしれません

鬼の神は
香りが香辛料ににています
またエネルギーもきれいで
所作やすがたに
どこかしら
美しさがあります



堕天使は神に逆らい
堕ちたものです

すがたは
黒白としていて
美しいことが多く
牙、毒、金の目、角、つめなどを
もっています

黒くてゆがんだ翼のエネルギーを
背中にあるときがあります

嘘といつわり
知恵と策略をたずさえている

ただ、もともと天使なので
善人にたいしては
善でかえす作法をもたれています

かれらが神に反したのは
神のてのひらのうえでのことであり

その次元でないと
悪意なるものに、
裁きのちからを
とどかせられないから、が
さいだいの理由です

かれらは戦い続けています

かれらは
冷酷で
神様のようには
人間を愛しておらず
人間を軽んじていますし
場合によっては軽蔑を抱いています

ですが
伝承のひとつにあるとおり
神や善人、聖人には
敬意と慎みをもたれる

神が、ラグナロクにおいて
悪意なるものをたおすため
人間にかしづくのを命じたのですが
それを、否して
己の力で悪意を滅するとし、
悪意にちからがとどく次元に
堕ちた元天使たちです



悪意なるもの、
悪魔は
次元が低すぎて
神さま方々が葬ろうとしても
ちからがとどかない

ですから
ラグナロク、
神様が彼らと戦うために
なにをしてきたかというと

現実に、神の場となる
人間をもたらした、
戦える次元まで天使が堕ちた
こちらを守る境界線の次元に
憤怒として鬼神がうまれた

こうした策が必要だったのです



そうして、策のもうひとつに
神様が、地球において
ご自分方々がつかわれる
具体神体をつくられているので
やがて、具現される

そのとき
鬼の神
堕天使も
あらわれてきます



神々が具現される時代
かれらのような
異形の神々が
誤解されることが
すくないといいな、と思います
2020-05-06 16:31:39
ここから先
物質の時代から
魂の時代に
切り替わっていきます

ひとりひとりの
こころ、魂の本質が
なにより、道をつくるように
なっていきます



「一日一善」など
善徳は
魂のちからになる
みえなくても
重なっていく

今までの
灰色で甘い時代が
切り替わり
白と黒の時代になる

ひとりの人生が
その人の
「魂」「こころ」「愛」で
かわっていく

ここから先は
そうしたことが
いろんなことに
影響をもつようになる

☆悪がもつ厄に巻き込まれないように


悪徳による
エネルギーダウンは
転生してもつきまとう

肉体の病より、
やっかいなものです

これから先
悪徳の人たちとは
距離を置いたほうがいいのですが
私はこれをどう書いていいかわかりません

ひとは、
だいたい自分にあったものしか
視野に入らないし
それは見えない所でも同じです

ですから、
たとえスピリチュアルなことをしていても
そうした能力があったとしても
悪徳の方々は
つねに「みえていない」ことを
抱えている

祟りと呪いのラグナロクにおいて
悪徳は悪因をよびこみ
そうしたことをしていた方々は
ひどいエネルギーダウンを
起こし続けています

簡単に言えば
方々は「厄災」を持つものに
かわっていきます

方々は自業自得です

今後
そうした方々の厄災の台風が
あちらこちらから
噴出してきます

悪徳の方々の厄に
「巻き込まれないように
距離をとること」を
おすすめします

「転売屋」と「悪徳スピリチュアル」は
根っこがつながっています
さまざまな、悪徳は
実は根っこがつながっています

そうした方々が
どんなに魅力的に思えても
「お金を払ってものをかわない」ことを
おすすめします

☆(蛇足な豆話)


ここから先はてきとうな豆話なので
読まなくても大丈夫です

信じられない話です

「悪徳の方々」は
全員、魂に「尾」がはえていて
それがサタンとつながっており
信仰がなくても
「サタニスト」みたいになっていて
そうして生きています

方々は
いきなり、「肉体」がくずれます

生きながら腐ります

ゾンビでてきます
「いきたにんげん」を食いたがります

方々のおおきなものは
悪魔にかわります
「悪魔の呪詛」
いきなり、現実になってきます

そうしてすごく臭い

「ゾンビのように見える」
「悪魔のように見える」
そうなるんです

彼らは「厄災いの塊」みたいなものです
まきちらします
見えない所のウィルスです
まきちらしてきます



「にんげんをくいたがる」

「そんな様に見える」ようになるんですが
「そんな様に見える」ではなくて
じっさいにゾンビなんです
じっさいに、悪魔なんです

魂が実際にそうなんです
それがごまかしようもなくなって
「見えるようになる」んです

ですから
肉体化してきたら
彼らに現実の武器は効きません

ものがたりに
かたられてきたとおり
不死身です
だけど彼らは
太陽のある内は
動けない
でも、夜になったら
じりじり動きだす
しつこい
標的にかなり執着する
だけど彼らは
鍵のかかった部屋には入れない

そうして
ずっと「人間の肉を食いたがる」

エネルギーヴァンプどころじゃない
詐欺搾取どころじゃない
「にんげん」を食べたがるんです

映画より怖い

巻き込まれないようにって書きましたが
「食われないように」ですよ
「襲われないように」ですよ
住所知られていたら来ますよ、家に

かれらの
ほんとうは
お金を儲けたいとか
エネルギーがほしいとか
そういうことじゃないんです

「お金」=「人間のエナジー」だったんです
エネルギーヴァンプするのだって
エネルギー=「人間のエナジー」だったんです

彼らの「食い物」は
「人間」なんです

だからエネルギーヴァンプするし
だから、エネルギーがのってる「おかね」を
搾取していたんです

ゾンビになって悪魔になって
「食い物」が「エネルギー」から
直接的に変わったら
「食いに来る」んですよ
人を、ハンバーガーみたいに

映画より怖い

お金払っていた人たちは
「餌をあげていた人たち」ですから
その人=餌ですよ



彼らをたおせるのは
「ほんのもののエクソシスト」か
「神能力」だけです

炎も消滅できるんですが
「とんでもない悪臭と未知のウィルス」が
そこにのこってしまいます
「悪厄」がのこっちまうんです





彼らに現実の武器は効きません

だけど彼らは
太陽のある内は
動けない

でも、夜になったら
じりじり動きだす

だけど彼らは
鍵のかかった部屋には入れない




彼らは
善徳を苦手とする

彼らの目に「善人」は見えなくなる
でも彼らは「呼吸」で知覚してくる



真実の神聖や
真実の愛は
かれらを滅する



魂の力を培ってきた人は
これから、魂の時代
とてもタフになる
厄があって被っても
浅くすむようになる

そうした人には
恵みと幸運が起き始める

それから

神様も具現する
2020-05-02 13:40:57
★★いずれ善人が復活するはなし

死んだ人は
無になったりはしません
『徳格』とでも
いうべき魂の光で
天から地にかけて
おおきく7つに分かれている世界へ
神様の掌によりわけられ
あらたな住処を得て
魂の活動はじめられます

徳格が高い方は
神様からつたえられ
仕事をもたれます

この世界に、
そのお仕事は
きちんと影響をもたらしています



川の向う岸、とよくいわれますが
死後の世界と
この世界のあいだには
浄めの水のような流れるエネルギーが
たうたう満ちているので
意識化すると
線路、川、崖、などになるかもしれません



神様が具現されたあと
善人さんたちが
ご復活されます
いがいと普通な感じのようです



★★お家の中が安心なはなし

恐怖、不安が強いかもしれませんが
いまの世界は停滞するわけではなく
時間とともに
(なにがなんでも)
未来にすすんでいます

厄災のエネルギーも
永遠のものでありません

いまいまの不安にかられて
変なことをするより

ただ、つたえられていることを
まもっていけば
大丈夫だということも
わかってくると思うのです

外に出ていた方々は
急激なとじこもりに
なれないかもしれませんが

閉じこもりは
『人間はできない』ことではないし
あんがい数カ月もすれば
なれていきます

環境の変化と
不安な情報は
ストレスですが

閉じこもることじたいは
きっと、なれていくし
やりかたも
かならず、こなれていきます



下手な行動をしない

自分にも、ひとにも
よくないことをはずしていく
よくないことを
しないように気を配っていく

正しい話と
喧嘩をはきちがえない
デマには気をつける

そうしたことで
良いのではないかと
思います



いまは、みえないところ
エネルギーでも
『お家の中が安全』なんです

厄災は危険、だから不安、ではなくて
いまは『お家の中が安全』と
意識の言葉を変えてしまうと
こころ落ち着くかもしれません

あともし、信じられるなら
あなたを守ってくれる
家屋に、感謝を。
2020-04-21 14:56:01
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