Series: 豆知識&やり方 神様と雑談 神さまのことば 未設定 未分類 日常徒然 作品について 不思議レポート 不思議な夜の話 不思議な光の話 不思議と徒然 ヒーリングと徒然 スピリチュアル エネルギーの物語
Year: 2019 2018 2017 2016
スピリチュアル

光と夜、真怒は祓いをなす

そろそろ、おのれの背負っていたものが、ボロボロあらわれるころかと思われます、「ひとのこと」など神はあなたに采配していません、あなたにもたらされているのは、つねに「あなたのこと」です

ほんとうの、真心からわく怒りは祓いをもたらします、それは悪意ではなく、善心のひとつだからです

ひとは、前少し書き記しましたが、悪意そのものの存在に、深い怒り、くるうほどの怒りを、誰もが抱えています、

だからこそ、今ここに生きている方々は、いまこのとき、この時代、すなわち「ラグナロクにうまれて、いきる」ことをされたのです

真怒を抱えていながら、それを「わすれて」生きているのが、いまの多くの方々です

怒りは祓いとともに、そこにある常態を破壊します、ですから、己に内包する怒りが深いほど、ひとは「わすれる」ことで、バランスをとっているのです



カクリヨはすでにひらいてあります

そこをとおして流れ顕れる「怒り」や様々な「こと」に、あなたが見せた「姿」、このふたつは、あなた、そのものです

説明がしづらいのですが

そこに顕れたモノは、あなたの心に内在するモノと呼応しています

(悪意そのもののモノと、その傀儡たちは、地球や創造主がうんだものではないので、あなたではありません)



カクリヨのなかで、みていたひとたちは、己と向き合う人たちです、ですから、このあとなにがあっても、自分には力があることを信頼されてください

2016年の冬からそれははじまりました

そのときから、いままで、なによりも恐ろしい「己の闇」と、あなたは、常に、ともにあったのです

そうして、みんな、逃げもせず、その闇と話していました

たとえそれが他人に見えていたとしても、「話そうとしていた、伝えようとしてきた」ことは、いついかなるときも、うしなわれたりしません



「貴方を生きること」をやめないでください

たとえ、力のある某が、あなたを従わせようとしても、そうした存在よりもあなたが間違いをふみやすかったとしても、あなたの意見をもって、あなたを「伝えようとしてきた」、貴方がそこに生きていることを、失わないでください



能力者のかたは、闇ばかりの方と光ばかりの方でわかれています

闇ばかりの方は、悪意と、夜で、わかれています

夜にいらしたかたは、このあと、あなたの光をしることになる、光ばかりにいらした方は、夜を、しることになる、

無知であれば非難できたことは、知ってしまえば、できなくなる

知ってしまえば、視野が、かわる

そのとき、なぜ、光でも、善心でもなく、愛がもっとも最強のちからをもつのかを、知ることになるでしょう

うけいれること、ゆるすこと、優しいことで表す「アイシテル」など、所詮はまやかしです


2019-01-26 10:23:28
スピリチュアル

地球の闇(内からくる病、あるいは夜)と、悪(外からくる病み)の異なり

地球の闇は、病でも、くらがりでも、ほんらいのものならば「悪性」ではなく「問う気性」をもつものにすぎません

それが現れるあいだ、ひとは、己を問う、そうしたことが、地球の「闇」のもつ性質です

むかしは「悪」はこの悪性を指し示し、いまのように「よくないこと」の意味ではなく「己ではないこと」や「あやまち」や「ゆがみ」を示していました

いま、「悪」は、多数の人のあいまいなイメージでは、その悪とはほどとおくあります。それは「悪」にふたとおりのモノがあらわれ、まじってきたからです

人に実害をなすことを「悪」とみるなら、この実害はじっさいは「侵害」であり、それをもたらしている「モノ」は、エネルギー界隈では、「地球がうんだものではない」モノです



外からくる「侵害」の性質をもつ「悪(闇、病み)」は、ふつうならば「穢れ(ストレスのようなもの)」として、付着します

どうしても、毎日付着します、ひとはこれを日々「ストレスをはらうごとく、自然に、無意識にはらいのけている」、そうして生活しています

まえも書きましたが、たまに被ると「意地悪な気持ち」になります、ふつうの方々は、その程度ではらいのけています、不安になることはないのですが、つまり「悪意」というのは「地球ほんらいのものではない病み」ですから、はらいのけて、のることなく、すすむほうが人間の生活はよくなります



地球ほんらいの、エネルギー界隈の「闇」は「夜」の性質をもっています、それは安寧であり、死にたいし向き合うこと(=生にたいし、向き合うこと)をもたらし(=メメントモリ)、また、「内省」をもたらします

眠る前に一日が思い出されるときは、エネルギーの「混沌(混乱)の整頓」があらわれています、その状態で「改善」がしょうじたり、道をあきらかにできたり、これが、地球ほんらいの「闇」です



死地にあるかたで、方々のなかには「深いしずかな夜のような闇」につつまれ、眠られているときがあります、

それは生という「光さす日々」のなかであったことの、さまざまな癒やしをもたらす、しずかな眠りです



地球ほんらいの黒、ほんらいの闇は、けっして悪意なるものではありません
2019-01-24 14:36:37
スピリチュアル

「盲目」であることへの自覚と、過ちは常にあるのだから怯まないこと

盲目の人群れが象をなでて、どういうものかを論じてる、有名な「悟りというものの人の風景」をあらわした言葉ですが、神様のことや、見えない世界のこと、スピリチュアルや霊能ごとについても、これがあてはまります

ひとのみえる範囲は「人の目」の範囲でしかありません、それは見えない世界でもです



神様は巨大です、創造主たればなおも巨大で、人間がふれることのできる範囲は、どこまでいっても「かけら」にすぎない

正しくない、というより、誰もが、どこまでも「部分的」なままで、今なお霧の中にある世界にたいし、何とか知恵をよりあつめ、生きている、なんとかしていっている、それが、見えないところにかかわる、スピリチュアルや霊能者の世界なのだと思います

すべてを見通せる人などひとりとしていないのです



ラグナロクにおいては、毒霧もおおいですから、(呪詛と祟りがいきかってる)、神々のなかには、「あちらがわの解釈を持ち出すもの」をすべて「毒者」と見なす方もいらっしゃいます

さまざまな方々が、なんどか彼らに怒られているのですが、人間の身である私から、伝えられるなら「正しきは正しきに座る」ものですから、「なにがどう」というより「あなたが善意であったなら」神々の祟りに右往左往する必要はありません

人間はつねに無知無明です、これはもうしょうがない、だから間違えもするし、己の目には、範囲があるのに、己の目(のみが)正しいと思い込む(見えたもの、聞こえたものに頼ろうとする)

神々はこれからどのような神々であっても、その存在を濃くしていかれますから(おおいなる、主たる神様が、ここからさきは、そうした世界になることを望まれたのです)神々に怒られていたり、自己の目が間違っていたことを指摘されたり、もっとかなしい話ですが……ひとりひとりが、己の正しさを信じ、おこなったり、のたまったりしてきたことの、なかには「悪意であったこと、悪意にのまれていたこと」があったこと、それをあきらかにされたりするかもしれません



裁きの神は盲目であり、耳の聞こえない神のおひとりです、見えたもの、聞こえたことに頼らないからこそ、完全な公平をもたらされます

「あなたが善意であったなら、過ちもまた善意によりつぐなえる」
あなたが行為をする前に、座る場所があなたの真心であったなら、それは、神々は、許されます

ですから、難しいことかもしれませんが、なにがあっても、なににも惑わされず、己の真心にすわられて、そこから立たれ、そこから動かれてください

ひとは過ちをふみしめながら、それでも生きていき、よりよく生きようとするものです、神々が怒りをもつことを貴方がしていたとして、善意により行っていたなら、それを伝え、また、やりなおされてください



一言伝えられるなら、あなたでいる他ないのです、他人はおろか、神々にさえ、あなたを貴方でないなにかにかえて、気に入られようと生きることは、できない(しても、無理になる)

ですから、あなたが盲目の群のひとりであること、ほかのひともまたそうであることを、できることなら理解して、そのうえで「あなたの真心から生きてください」

過ちをおそれず、怒られることを恐れにせず

ちなみに、神々が怒るということは、それは祝福にすぎません、このことはまた後ほど記述します
2019-01-19 14:22:22
スピリチュアル

ダークサイドのエネルギーは「魂の病(闇)」、悪とは何かについて

このようなことを書くとおびえる方もいますし、あまり意味のないことかもしれません、人のためと言うよりは、「とある証のため」にすぎません



ダークサイドのエネルギーの根元は、悪霊でも悪魔でもなく、そうしたものにとりつく「悪意そのもの」であり、それは魂の病(闇)です

現実にそんざいする「ウイルス」は不完全な生命体になりきれないものでありますが、そのような「悪意そのもの」の「ウイルス」が、魂の次元にそんざいしており

それに罹患した魔物が悪魔とかわり、霊が悪霊とかわるわけです

悪魔信仰者は、おもてむき「神を信仰している」としてカルト的な宗教をしていますが、かれらの信仰がいきつくさきはこの「悪意そのもののウイルス」であり

すなわち、スピリチュアルなひとでも、霊能者でも、ウイルスに罹患することによる「病状」を「魔力(あるいは霊能力)」と誤解している一群がある

かれらは、えにし(人とのつきあい)をたどると、どこかで「悪魔崇拝者」すなわち「悪意そのもののウイルスを信仰しているもの」とたどりつきます

魂のウイルスですから、濃厚なつきあいがあると病状がうつります、それをかれらは「特別なちから」としているわけです

悪意そのもののウイルスは、悪魔崇拝者にはスゴイモノにみえ、神様といらっしゃる方には時には悪霊に、時には悪魔にみえるらしいです

その実体は不完全な、生命体ですらない「魂次元のウイルス」であり、エネルギー的には「悪意そのもの」なものです



ウイルスは、不完全な疑似生命体ですから、奇妙な疑似指令を生命体におくりつづけます

肉体の場合は、こうしたことで肉体が破損損傷していくわけですが

魂次元の場合、それは「脳内の指令」としてあらわれたり、あるいは「奇っ怪な行為への錯妄」としてあらわれたりします

これは「精神の病」とはまたぜんぜん別の症状です

すなわち、罹患した魂からくる奇っ怪さをもちながら、そのウイルスの指令を「素晴らしい知識だ」とし、これを「啓蒙、あるいは人のための知識のひろめ」として宣い、

魂からくる異常性を「スピリチュアル、あるいは霊能、あるいは信仰」でごまかしながら「それをせざる得ない錯妄」が、その症状です



「ウィルス」は他者に罹患して広まっていくのを望むものでしょうか? 疑似似非、生命体になり切れない不完全なそれは、確かにそれを望みます。

ですからそのウィルスに罹患している方は、その症状を「すごい力」「すばらしいこと」としながら「他人に接触することを望み続ける」、

まともな人が、それをはたからみると「がめつい、きたならしい、詐欺的な商売」をしているように見える、しかしその蠢きは「金銭を搾取すること」よりも「他人に接触すること」、そして「ウィルス崇拝をさせて魂を病にすること」を重要視しています

そうした罹患者が、規模が小さくても「金銭搾取なカルト系」の組織形態をきづきがちなのは「金銭豊富なほうが、ひとがあつまる、神様やスピリチュアル、救いをほのめかしたほうが、【よりいっそう、弱った人が集まる】」からです、

ポイントは「弱った人が集まる」ところです

「魂のウィルス」にすぎませんから「弱っていればいるほど」罹患しやすい(させやすい)わけです

逆に言えば「弱った人が集まりやすい」形がそうした「金銭搾取的なカルト的なシステム」なんですね

おもてむきは「豊かで、めぐまれていて、不思議な知識やちからで幸せになっている人たちが頂点にいる」感じですね。裏をみると「必死に奇怪な命令に従って演じている人たちがわけもわからず金銭搾取をおこなって、弱った人にウィルスエネルギーをぶつけつづけている」感じです



聖書のとおり、サタンはこののち、みえない世界の最大火力にてやかれます

それはサタン(悪魔)が、そうした「悪意そのもののウイルスのおんどことなり、なおかつあたり一面に罹患させる【根元】となってしまった魂」だからです



簡単な罹患はたまに、ひとにもあります、意地悪になったり、悪い気持ちになったり、ですが、まともであれば、それはすぐに抜けていきます、(その時、わるかったなぁ、わるいことしたなぁ、とかいう気持ちになります)、むしろ抗体免疫がついたりします (その時、自分を改善しよう、とかいう気持ちになります) から、おびえることはないです

風邪みたいなものですね

内緒ですが、ワクチンも見えないところで開発され、配られているので、まともに生きている人たちは、心配することはありません



懸念しなければならないことは、そうしたウイルスからくる「病状」を「能力」としている方々です

かれらは、たどれば「ウイルス信仰」にたどりつきます

おおいなる源、創造主、主たる、おおきな神様は、「悪意そのもののウイルス」を神とあがめ、崇拝し、なおかつそのウイルスに好き好んで近づいて、罹患していき、魂の病をまわりにふりまいて、ほかの子たちをも魂の病にしようとする彼らに激怒されています

怒られるたびに、かれらは奇妙な反発をしていましたが……

しかし神様の怒りよりも、ウイルスの症状が奇っ怪さをましていて、たとえば病と気がついた時、病状が意識できるようになった時には手遅れである肉体の病があるように、魂のウイルスの症状も、「意識できるようになっていく」らしい、こののち、ウイルスはその症状を「肉体の次元にあらわしてきます」

かれらのそばにいらっしゃる方で、改心できた方は、幸いですから、聖なる神様の信仰に戻られた方が良いかと思われます



生命体をまもる神様▼


2019-01-17 15:44:57
スピリチュアル

覚悟の勧め



多分この先一番かなめになるのは
自分を自分で生きていく「覚悟」なのかな、と
おもいます

愛をもって生きるには
「やさしさ」や「甘さ」ではなく
勇気がいります
自覚するにも勇気がいります

「逃げる方が楽」です

「愛」は、言語化できません

ただ、多くの人が
なんとはなしに
いまもうすでに
抱いています

手放した方が楽だから
見ないふりをする時も
多いようです

「人間が愛しい」という「自分」を
自分をもって生きること、


「自分という存在」を前に
腹をくくることは
勇気がいります

それでも、そうした「覚悟」が
たぶん、この先は
もっとも、重要なことになるのかもしれません
2019-01-14 17:26:22
... Prev[1] Next[3]
Page : 0 . 1 . 2 . 3 . 4 . 5 . 6 . 7 . 8 . 9 . 10 . 11 . 12 . 13 . 14 . 15 . 16 . 17 . 18 . 19 . 20 . 21 . 22 . 23 . 24 . 25 . 26 . 27 . 28 . 29 . 30 . 31 . 32 . 33 . 34 . 35 . 36 . 37 . 38 . 39 . 40 . 41 . 42 . 43 . 44 . 45 . 46 . 47 . 48 . 49 . 50 . 51 . 52 . 53 . 54 . 55 . 56 . 57 . 58 . 59 . 60 . 61 . 62 . 63 . 64 . 65 . 66 . 67 . 68 . 69 . 70 . 71 . 72 . 73 . 74 . 75 . 76 . 77 . 78 . 79 .