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スピリチュアル

世界への影響……

大切なこととして
「あなたがもたらす、世界への影響」と
いうものがあります

範囲が広い方もいらっしゃいますし
ふかいかたも、せまいかたも、
浅い方も、千差万別ですが

だれもが「そのこと」を
背負っています

それが、人間です



池に落ちる一つの木の葉が
波紋をえがくように

ひとりのひとの行いは
あんがい広い範囲で
波の紋様となり
流れあらわれていきます

見えないところでは
はげしいラグナロクが
展開されていますから

この影響が顕れることをもって
世の中を悪くしようと
動き回っている方々と
世の中への尽力(つとめ)を
繰り返している方々とで
真っ二つにわかれてあります

……

あなた、が
どちらにいるかで
まわりの方々も
どちらにいるか、が
明瞭にわかれています

……堕落者の最終的な願望は
周りを巻き込んだ破滅のようですから
お気をつけていらしてください

それは「堕落」か
「尽力」かの違いのようです

……

見えない方々が
仕事を頼む方は限られています

自我という
自分でいっぱいになっている方は
まず、それが
その人への問いかけとなっていますから
他者がものを頼むことができない
(自分のことで余裕がないからです)

欲していること
自我のうづきから
おもいこんでいることが
ついえたとき
ようやく、神々や見えない精霊が
ふれはじめます、

お皿のようなものです
すでに、なにがしかで
盛られているものがあったら
盛りつけることはできません

いっさいの私事が
空になったとき
あらためて、触れられることがあります



たくさんの現実の
あらゆることは
そのひとにより
神々は、そのひとのわかりやすいかたちを
現象として、あらわされる

どのようなことも
貴方事と
ひとさまのことでは
模様が異なることがあります

しかし、その模様が
完全に、ひとつというのがあり
それをこの世の「道理」というらしい

真理ともいうらしい

ひとにより、ときにより
かわること
あるいは、ひとにより、
理解しがたいこと
納得しがたいことは
真理ではありません

理解に説得がいることも
ひとそれぞれの模様にすぎません

……

つまり真理はごく単純なことです



「あなた」が
人でありましたら
ただ、ひととして
まっとうに生きるだけで
深く慈しまられます

見えない方々に、です……

貴方をきちんとつとめる貴方が
愛されます

貴方が、あなたを
懸命にいきるかぎり
神々は、あなたを見捨てません

それが、あなたが、あなたを
見捨てていないことだからです
2019-02-19 05:15:31
スピリチュアル

おにと神様の関係


▲スピリチュアル絵本「おに」



むかしは
隠れたもの
つまり
みえないものを
そうじて「モノ」と
呼んでいたそうです

やがてそれは
「隠人」とかいて
「おに」と呼ぶようになり

時がたつと
「おに」は
「神」と「おに」に
わかれていきました

やがて「おに」がふたつにわかれ
「隠穢」と「隠人」に
わかれていきました

これは、なんだか
みえないところが
時がたつにつれ
「理解されていった」ながれ
そのままのようです



ひとにとって「こわいもの」は
「隠れた穢れ」と
「隠れた神(鬼)」と
ふたつあります

このふたつは
明確な差異がありますが
みえないものでありますから
どちらも「こわい」で
くくられてしまいます

「隠れた穢れ」は
「負荷」……こころのストレスに似ていて
いやなもの、くさいもの、悪いものを想起させます

(見えなくても、
それにふれたとき
なんとなく、
いやなイメージ、汚いかんじ
重くおもう、嫌悪を感じる、臭みを感じる
などの想起は
誰にでも起こるようです)



「隠れた神(鬼)」は
「とてつもなく冷たい」か、
「とてつもなく熱い」です
重く、苦しく、痛くかんじたり、
暗いときもあります
でも、汚さがありません

厳しさと似ていますね

ただ、ひたすら、厳しい

そうして「忌避」と「畏怖」が
想起されます



「神は怒らない」と
いう方もいらっしゃいますが
それは「如来尊」のほうだけを
「神」ととらえている様子です

ほんらい「神」は、みな
四つの面相をお持ちです

「怒り」は、神の「親愛」です……

「ほんとうに、ひとを、おこったことがあるひと」だけが
その「怒るものが背負う担い」を
知っているのかもしれません

それを担い、
よくないこと
わるいことへの
道の歩みを
削ぎ落す

これが、怒りです



……「神の顔」を
どのようにとらえているかは
「心の様子」の
とらえ方と似ています
2019-02-18 19:12:57
スピリチュアル

本来本願の心身に無礼はうまれない

いちどだけ、
今まで降り降りていた加護が
離れる時期があります

理由があります

あわてることでもありません

四月あたりです

そのとき
貴方のことがわかり
貴方へのほんとうのことが
顕れてくるでしょう

努めてきた方々には
きちんと報いがあります



本来、本願ともいえる
本性ともいえるところから
ながれ顕れる心には
たとえどのようなときであれ
無礼や失礼というのは
ありません……

誰に対しても、です

以前、話さなかったことですが

本来の神や、
大切なちからをもつ神々は
一見すると乞食や、見窄らしさをもつもの
あるいは、ひとにとって
「劣ったもの」や「見下せるもの」の
すがたをとってあらわれられます

そうしたものに対峙したときの
あなたのすがた、おこないを
神々は見つめ、
そうして、貴方へのことを
決められるのです

善心であれと
いうはなしではありません

一見して、天使や
如来など、派手で
素晴らしく美しく
すごい力があるようにみえる方々は
「そう見せている」ことが多く

本来、幸運であれ、ご神力であれ
加護をあたえることのある方々は
その姿を
わざと、ひとより劣ったもの
下のものにとってくる、
これがこの地球の、
神さまなのです

ひとより優れたものにとってくるなら
それは、「そうしている」ものだと
いうことです



不動明王は
修行僧の出で立ちで歩かれていることが多く
それは糞掃衣とよばれる
穢れ、汚れ、やぶれた
きたならしい衣を
垂れさせてまとわれています

またお顔がさまざまに
崩れられていることも多く
目がアチコチにむかれていることもあります

また、如来尊は
ひとにあらわれるとき
「トイレ掃除」をしていたりします

そう見えるのです

なぜなら、かれらが
この世にもたらしていることは
まさに、糞尿のなかにはいり
救うべきを救い出すご尽力であり
あるいは、天にあるなら
この世の糞尿を清め祓いて
ながしおとすこと、他なら無いからです

また、そうしたご尽力にはなくても
日常や、一般的なご加護などを
されている神々は
普通の格好をされています

古めかしいこともありますし
袈裟であることもありますが
とても、普通で
その格好で
惹きつけられるようなことは
ありません

ただ、もしも
その本心、お心、ご尽力を
理解する心が、こちら側にあるのなら
かれらは、姿形ではとらえきれない
すっとした、美しさ、真の美しさを
忍びたたえていることに
気がつかれると思います



神様はそれぞれにお仕事をおもちです
けっして、個人個人の
幸運や、お金のために
いらっしゃるわけではありません

「美しくみえるもの」
「素晴らしく思えるもの」は
そう見せているだけ、

欲しがるひとたちからの
搾取と、踏みにじりにあわないよう

ほんとうの神々は
姿を隠され
また、あられるときも
目の前のひとの心をみるために
美しくはあられません

そのことをよくご理解されたうえで
もしも、あやまちを歩いてきたのなら
今一度、歩み直されてください



ほんらいの他人の
ほんとうの心をたどれる方だけが
ほんとうに、神々と
であわれます

それは人の心と
神々は、おなじことだからです

ひとを、己の目(我)でみる方は
やはり、その目にあった
そう見えるものと
つきあうようになっていきます

貴方ごとをなくして
ひとや、他の命のことをわかろうとするかたは
そうした神々にあわれても
わかろと、まず、されますから
神々の本意と
あわれることになります
2019-02-12 12:22:10
スピリチュアル

釈迦牟尼とイエス

釈迦牟尼さまは「守る方法」を
イエス・キリストさまは「回復する方法」を
伝えているのではないかと
最近、良く思います

「守る」「回復する」対象は
たぶん、わかる人にはわかることですが
「魂」や「命」とある処です

どちらも「導き手」として
授けられ、
在られたのだろう、と
私は思います



釈迦牟尼さまのほんらいの「伝えてきたもの」は
難しいことではなくて
「悪口をいわない」とか
「中身の無い言葉を話さない」とか
「他人を仲違いさせるようなことを言わない」とか
無垢な倫理観のようなこと

「悪口を言わないこと」が
なぜ、「守る方法」なのか、は
エネルギーラインが見える方なら
分かるのではないかと思います



私は「わかりづらいこと」
「とらえずらいこと」は
そもそも、彼らの本来の
伝えたいことではないのだろうと
とらえています

イエスキリストさまも、
とてもシンプルで無垢な言葉を
伝えられている

「人はパンのみにて生きるにあらず」
「明日のことを思いわずらうな」
「求めよ、そうすれば、与えられる」

null

私は、特定の宗教も、団体も
はいっていません

かれらとは
一人きりの、嘘偽りがつけないところで
むきあうしかないからです

釈迦牟尼さまも
キリストさまも
いまでもその、親愛なる御心が
彼らの「伝えたいこと」に
宿っていると思います

聖なる方々、
いまも、私たちの幸福を
祈ってくださっているから
なのかもしれません



もしも、私のこの経験が、
触れる方がいらしたらと思い
書き記します

スピリチュアルであれ
霊能であれ、なんであれ
神様とか、見えないところのことを、
たがいに話あわせたり

団体様に所属して
「これはこうだ」とか
「このひとはどうだ」とか
そんなことで、なれあうひつようはなくて

不安であっても
震えていても

自分の足で、自分の目で
自分の頭で、自分の心でとらえ
みて、かんじ、うけとり
あじわい、かんがえ、おもい

経験と培いを重ねていき

ただ嘘偽りがつけないところで
ただ
まっとうに真っ正直に
つたえ
ただ、なんにも望まずに
うけとるだけです
2019-02-04 21:53:42
スピリチュアル

祓うために呪詛を同句で言葉にしていた方々がいたことと、その方方に落ち込みがくること



悪意なるものが流し込んできていたエネルギーは、私は「呪い」としかとりようがありませんでした

それは人によれば念に見えたでしょうし、悪霊や、マイナスエネルギーに見えたと思います

私はそれを言葉でとらえやすいのですが、それと同じ言葉、あるいは呪いのエネルギーがもたらそうとしている「あらわれ」を、文章にしてブログなどで書く方々がいらっしゃいました

方々にはふたとおりあり、まるきりあちらの傀儡と化している方々、もうひとつが、「解毒、解呪」の力を持つ方々です



解毒、解呪の作用力を持つ方々は、呪のエネルギーを己の言葉で書き表すことにより、解いて呪いにしない=呪のエネルギーを解放している

「呪いにしない」力がつよいため、その影響にそうしたことを(たぶん、無意識で)されていたようです



悪意なるものは、どんどんと破滅にむかっています

それの呪は、いま、死にたい、自分が悪い、(エネルギーにすると罪悪感、死滅感)をもたらしています

とくに「傀儡だったもの」か、無意識にそうした呪とりをされていた方々に、それがきています

呪とりとはいえ「悪意なるもの」と「同じことをいっていた」ことを、利用して流し込んでいるようです



かみさまは、あなた方を祝福しています

気落ちと、罪悪感、自分がわるいとか、死にたいとか、理想や自分の好みを人に被らせてきた、とか、そんな気ぶんがたちあがる日々ですが、どうか負けずにいらしてください

カクリヨでラグナロクがおこなわれている昨今に、わからないまま、認識できないまま、それでも、人を思う人は、人のために動かれています

呪詛は一種のモラハラのようにながれています、「理想を押しつけてきた」「人が傷つくようなことをしてきた」ように感じるあなたに、まわりのひとがほんとうの信頼と好意をよせているなら、もしかしたら、その態度は上辺にそうみえるだけで、カクリヨでは「呪詛をとってきていた」効果があったのかもしれません
2019-01-30 08:03:11
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