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エネルギーの物語

海に恋した木



なにが「エゴ」で
なにが「エゴでない」かは
もしかしたら
人間をこえた
もっと上の
天意しか
わからないんじゃないかと
私は、思う



「一見優しそう」とか
「一見正しそう」とか
そんなところに邪も腐敗もひそむ



「自分が優しい」とか
「自分は正しい」とか

光のものとともにあるとき
そんな気分になる人は
たぶん、いないんじゃないかと
私は思う

「自分は、それほど優しくないし
愚かな面をかかえている
また、正しいというのはエゴに過ぎず
ほんとうの正しさは、
人間には歩めるすべがない」



思いやり

つねに、もとうとしなければ
持てないものだと思う



「是正すべき」は他人にはない

「是正すべき」

そこに火種があるのに
「光にある」と宣いながら
それがみえないのは
何かを間違えていると思う



「あたまのなか」は
現実とは違う

見えない他人
見えない現実

現実を見ることは
現実を知ろうとすることで
他人を見ることは
他人を知ろうとすることで

「こうに違いない」は
自我・我意識からわいてくる

これからも
「知ろうとすること」こそは
とても大切なことになるんだと思う
2017-12-26 06:09:05
エネルギーの物語

パソコンとネットは雷属性、雷の神様の管轄



パソコンって電撃









パソコンやりすぎると
私は体調くずします


パソコンって電撃属性で
どうも、なんだか
エネルギーが合いすぎるっぽくって


いわゆる、地に足をつける部分
腸とかの部分が
上に、ういてしまう


そんな感じで
あへーってなる


電撃と土のエネルギーって
土が下げられちゃうというか
そんな感じです


……


ひとは
火と水、
土と電、
木と金、などの
それぞれのエネルギーが
肉体に流れている


そのエネルギーに対応される神様もいらして


たとえば、雷は
大自在天様、とか
菅原道真さま(天神様)
ジュピター(木星神)とか


パソコン、ネットと合わない、
なんて方は
どちらによるかなんですが
(活性しすぎる(過渡)、
あるいは
力尽きていく(負担))


体内の雷のエネルギーの、
バランスが
崩れるからかもしれません


わりーと、
雷属性の神様は
パソコンやネットのことも
管轄されていたりするので


かれらと仲良くしてみると、なんか
よくなるかもしれません



……


絵は大自在天さまを
描いた絵です


いちおうヒーリング出るようにしました
(なんでか)
大自在天さまとのコラボヒーリングです
よろしければどうぞ
2017-12-13 08:00:45
エネルギーの物語

神気にあると、口が酸っぱくなったり、塩辛くなったりすること



不動明王さんの気は
トンガラシににていて
辛く、熱い



神気は
高貴な匂いとしか
いいようがない、薫り、香りがする



こうしたことからも
かれらは、芸術ににてると、思う



いや、もしかしたら
芸術は、どれも、無意識であっても
彼らを追い求めていたもの、
なのかもしれない



真贋
全身でとらえれば
真は美しい



……



かれらのひとりは
真の陶芸を
おもわせる



土の高薫、光を受ければ
静かにきらめく
地味で、おとなしく
なのに、圧倒される



……



神気がとりまくと
口の中が酸っぱくなったり
塩辛くなったりする
まれに、良い香りのする
上品なあまさで満たされることもある



……



神さまは、見えないけれど



(これからは、見えはじめる、
誰もが神に触れ、
誰もがみることとなる、と
私は伝えられた)



たしかな生命としてそこに存在し
そこには温もりがあり
神気があたりをとりまいて
神の脈とでもいうのか
「鼓動」のようなものがあり



そうして、触れれる実体がある



ひとによっては
エネルギーのかたまり、に
おもえるかもしれない
2017-12-11 02:57:25
エネルギーの物語

転生された神々、如来様はいま



ラグナロクのため
この地に、転生された
神々、如来様がたは、たいていは
宗教から身を遠くして
「日常」をこよなく大切におくられているらしい



悪魔駆逐するには
「日々を大切に過ごす」が
もっとも、つよいからねぇ
2017-12-10 02:22:01


お祭りはイイナァと思います
私はお祭りや
お祝いの日が好きです

お祭りは
穢れをはらい
良きものを
もり立てる力があります

ハローウィンも
もともとは
そんなお祭りなのでしょうか

10月の末
秋が、冬に変わる前
混沌とした静かな
エネルギーがはいりはじめる

死者が訪れる日とも
いわれるようです

日本のお彼岸とは
また異なる雰囲気ですが
生命と死の境目が
いりまじる
たしかにそんな風です

日本のお彼岸に
ながれる風は
曼珠沙華のように
思えるのですが

ハローウィンは
土や、大地、カボチャが
とても似合う
炎と土のよう

混沌

この世は、生と
生からは計り知れない死があり
混沌は、その2つが
入り交じるような
そんな日です

お祭り

にぎやかしは
穢れをはらい、
善き力をもちなおす
そんな力があります

混沌のなかで
にぎやかに、楽しみ
歓びをともし
友とあること

親愛なる歓び

そうしたことが

悪いものと縁を絶ち
良いものへと
流れ直すのでしょう

混沌がふかまる日には
たいていお祭りがあり
なんだか、それがとても
嬉しい
そう思うのです
2017-10-28 01:01:47
エネルギーの物語

神と堕天使の関係



隠り世の現実は
隠されていて
また、神様を含む
おひとりおひとりの
いのちや、意志が
生きて動いているために
固定されてはいない

そこには物質はなくて
流ればかりがある
そこにひとりひとりの命があって
かかわりがある
これを縁といい
この世になにがしかをもたらす
この世は縁というのは

隠り世にあるのが
命と命の、縁ばかりで
それにより
流れがかわるだけだから、だ

……

神様は、ひとり
おおいなるもの、と
私は呼んでいるが
すべてをもち、
すべてに現れる方と

こまごまと、
そこから流れ別れ
かけらとなり
プリズムとなり
人の傍らに
命と歩む、光のかけらの
神様と

神様のおしごとをされる
天使と
呼ばれる方々と

また、堕ちた方々

……

澄み切った水に
写り渡る山の景色は
山に似ていて
山に似ていない

まず、逆さまで
ゆらぎをもち
遠近がなく
よくみると
色が濃い

堕ちた神、は
堕天使、は
このような様をもつ

この世が水だとしたら
そこにうつしだされた
神のすがた、
上下あべこべとなった
そのすがたになる

……

隠り世の現実など
とうてい、文字で
あらわせるものではないし
絵でも、なんでも
あらわせるものではない

唯一、たんなる「音」が
もしかしたら
あらわせるかもしれないと
思う

言葉をもたない音が
かれらのすがたを
なぞれるかもしれない

……

隠り世の現実は
縁とその流れだ
どの流れにあるかで
この世にあらわれるものが
異なる

堕天使は
人間の持つ
神へのうらみ、憎しみ
ほんとうは
神を愛しながら
怒りに駆られる
上下あべこべとなった
己のこころと
リンクする

……

幸いあれかし

隠り世の現実は
流れをもつ
縁の海

だからこそ

愛にないものは
流れ落ちていく

だからこそ

愛にあるものは
光りがともり、
縁がもたらされる

それだけのことだ
2017-10-27 06:57:55


不動明王が好きなのは
神様の、憤怒の化身だからかも
しれません

不動明王さまは
化性があられる

私は実は
きちんと怒れるひとがすきです

めったにいません

……

妄執や、悪意
あるいは悪いエネルギー
そうしたものを
すべてふくめて
つきもの、と呼ぶなら

きちんと怒れるひとは
これを自然に祓えます

私には、きちんと怒る、が
お祓いのみなもとのように思えます

……

そこに、その人を否定する、は
ありません
逆に。その人を肯定する、が
あるばかりです

つきもの、は
その人ではない
その人が、その人から、外れたとき
わいてくるものだからです
2017-09-28 00:39:15
エネルギーの物語

見えない世界は葡萄のようにわかれている



見えない世界は
思想の世界ではなく
見えないだけの現実です

その世界は
葡萄のように
丸い世界でわかれており

ひとつひとつ
その人のいる世界で
現実が異なります

ですから、
人から与えられた知識を
鵜呑みにすることなく
己の心や身体(スピリット)で
きちんと見て、うけとり、
(現実を自分で)確かめないと

人の(見えない世界の)現実が
そのまま、
己の現実にあてはまるかというと
「そうではない」のです

……

思想、心理、精神と
現実には
隔てりがあり
見える現実は
見える分、分かりやすいと思いますが

そこには互いに
影響がありますが
精神=現実では決してありません

見えない現実は
見えないだけの、現実です
ですから、現実と同じように
精神は影響をもたらしますが
精神=具体にはなりません

……

精神鍛錬を行いますと
わりと、視野がひらけ
対応が富んでくる

精神鍛錬は効果をもたらしますが

そうした鍛錬や効果と、
見えない現実は
全然別物です……

……

精神はスピリットにつながり
また研磨があれば
効果をもたらします
2017-09-19 09:32:47
エネルギーの物語

神様とはなにものか



見も蓋もない言い方ですが
ひとが、ひとりひとり
神様だと思っているものが
神様です

ひとのこころの
真心や親愛であったり
自然のおおきな大意であったり
宇宙であったり
あるいは、イエスさまや
ブッダさまといった
尊い教えをもたらした人であったり
されるでしょう

たとえば
私が神様としたしむ方々を
神様でないという方々が
いらっしゃるのも
あたりまえで

大雑把にいえば

自前の固定概念が
「神様とはなにかを決める」ので
そこに細かく
「こうだああだ」つける方も
いらっしゃいますが

つまり、神様だと思っていること、が
神様としてあらわれます

……

見えないもの、が
どうであれ
自分が、どういうものかのほうが
ずっと、重要です

現実とかわらないんですよね

見えない領域も

神様とか、どうだとか
傍らのもの、
その人でないものの
権威や立場は
問題ではないんですよ

その人のもつ、思いや、こころ
概念を通り道にして
清らかなものには
清らかな方々がおとずれます

その人に、かかわるものが
かかわる
それだけなんです……

……

私の知っている神様は
信仰や信者を必要としません

おひとりひとり
個性的で
こころも、気持ちも、
もたれています
2017-09-10 06:11:41
エネルギーの物語

石についてのコラム



「石はためる」といいます
または「はっする」ともいわれます

川の流れの中
大きな石があると
流れが変わります

おなじように
石は流れに対して
ちからをもちます

エネルギーの流れが来た時
内包する型を持つ石があると
その流れはそこにおさまっていきます

エネルギーをためて
良いエネルギーにかえ
はっする

石には
もともとそうした性質があるようです
とてもやさしい性質です

自然から隔離されると
石は自然の浄化のちからの
流れ坩堝から
遠ざかってしまうようなことですから

ためるほうが強ければ
わるいものもよいものもたまりこみ
はっするほうが強ければ
枯れていく(力がなくなっていく)といわれます


……

「石」は優しいものだと思い
私にはご慈悲の
あらわれのひとつと思えるのです
2017-09-10 02:44:14
エネルギーの物語

捨てられることを望むもの、ものとひとと、石と木と



人形が、優しいから
悪いものがきたとき
人形にはいる、そう
伝えますと
たぶん、驚く方も
いらっしゃるかもしれません

たとえば
悪いものがきたとき

人形はみずからの
からのなかに、かれらをいれ
ださないように、縛られます

人形には、意思がないようにみえて
そこには、
「ワタクシを愛しまれる主」をまもる
れっきとした心があります

うまくやられる方は
人形のなかに、なにがはいっても
浄化されますから
人形が長持ちします

たいてい、わるいものがはいったら
そうした人形は
捨てられることを望みます
悪い物をださないまま

……

石もまた、
悪い物をださないまま
捨てられることを望むものがあります

石により違うのですが
2017-09-09 05:27:46
エネルギーの物語

太陽の父とパイプライン



太陽は父のようです
母のようです
大日如来さま→不動明王さまと
エネルギーおりがある

エネルギー体
神様仏様は
ほんらいは
たぶん、惑星のように
あるいはそれよりも
巨大な方々なのかもしれません

空のように、山のように
おおきなエネルギー流体から
人間のおおきさ
妖精のおおきさ
ちいさなちいさなものに
もとのエネルギー流から
おりられる

それは隙間からさしこむ
太陽のひかりのようです

……

みえないものを
おろす人たちは
パイプラインのようにおもえます
もっと、いうと
受け皿でしょうか
壺のようなかたもいらっしゃいます

ひかりからひかりをうけとり
この世に、流すような

ひかりはひかりです
ひかりというのは
光のままです

……

おぼうさんは
神様仏様をおまねきするのを
かんじょう、と
よばれるようです

かんじょうをされたお坊さんにより
神様仏様の
エネルギー、パワー、性格もことなると

……

ひとの、隣にいらっしゃる
見えない方々は
おおもとの光から
さしこまれた光かもしれません

その光は
この世を歩む
うけとり人により
性格も、エネルギー流も
ことなる

受け皿のかたちは
ひとにより、ことなる

この受け皿を
心とゆいます

……

神様を信じてないひとは
実は一人もいないのかもしれません
しらなくっても

もしも。だれにも
教えられて
こなかったとしても

自然をまえに、こころふるえ
いとしさをまえに、感動し
おもいがたきあがるとき

神様とともにいる
2017-08-04 00:24:25
エネルギーの物語

生命と呼ぶ日はくるのか



たまに深海にもぐるように
星星のところに
あそびにいく

天神とともに

ジュピターはシンクロ率が高いのか
遊びに行きやすい
ばかでかい……
風がすごくて
中心に巨大な神様がいる
(お体が雷で
かれは、巨大な顔だけかもしれない)
ドゴォゴォて
雷を吹上がしている

星星のなかには
きちんと生命がある
それは神様とか
精霊とか
肉体がある人間は
やっぱり珍しいのかもね

誰が星の名をつけたんだろう

冥王星は
死の星のように
死神ににた生命体が
うろついている
死の匂いが深い

海王星は
水性のおおきな精霊生命体が
だぱーんだぱーんて
およぎうなりぐるっている

月はウサギがいる
ウサギににている
セーラームーンのウサギちゃんににている(笑)
もう少し白くて
ぽーん
ぽわーんとしてる
聖なる魔力が高い

太陽の日差しがさしこむとき
月も明るく熱くなる
かれらは太陽から聖なる力を
チャージしている

精霊生命体
みえないものたちを
生命とよんで、おなじ生命体として
交わしあう日は
いつか、くるんだろうか

人間が、どんな生命であるのか
2017-08-03 02:14:43
エネルギーの物語

【エネルギーの物語】汚虫の役割



▲「まもるもの」

……

死体をたべる獣は
ダーキーニーの遣いといいます

夜叉、ダーキーニーは
死体を食べたことのあるけものを
つかったり
のったり、
いわゆる、憑依(ガカリ)することができるからです

キツネの一部も、
死体を食べていたため
そうしたものを、
日本にきた時
ダーキーニーは、
がかりに使ったといわれます

神々、見えないものが、
ガカリをおろす存在は
神々のタチと似ています
(魂のたち、実のところ)

ダーキーニーは死肉を喰うものでしたから
死肉喰いの獣がつかえたのです

ここでいいたいのは
死肉なんて、ぞわ、という話ではなくて

実は死体を食べて処理する(してくれる)獣は
それは忌まれることですが
死体から発生する様々な病、厄災を
未然に防ぐ役割があったのです
(死体は放置しておくと
生命を殺す病源菌を発生させるそうです)

これはこのまま
ダーキーニーにもあてはまります

ダーキーニーは
「厄災源となる肉を食べる」ものです

先に書きましたが
その流れは、すなわち
罪業者が罪という厄災を
撒き散らす、そのまえに
看守し
肉や生命エネルギーを喰らうことにより
出来る限り影響をおさえ
この世の厄災を
ある程度、未然に防いでいるのです

……

みえないもののつかう獣は
みえないもののタチと酷似しています

実は堕天使系列の悪魔たちも、また
つかうものが、そのタチとにかよります

有名なところでは、ベルゼブブでしょうか
彼はよくハエをつかわし
場を見ています

ドブネズミ、これは、サタンです

ゴキブリ、これは、サタンの次に大きな悪魔です

ただ、そうした存在が使うものが
そこにあるから、といって
すべてがそうとは限りません

また、そうした存在たちは
悪魔の手先ではなく、
神々の慈悲の采配です

ドブネズミは少し厄介ですが

汚虫の場合は、駆逐すればいい

悪から流れ来る悪意のエネルギー、
あるいは呪詛を
そのような虫をかりて、おさめ
現実にさわらせないようにし
また、人間が叩き潰せる、倒せるように
してあるのです
2017-07-31 06:33:24
エネルギーの物語

【エネルギーの物語】ダキニ天



阿修羅やダキニ天の複雑さ

阿修羅は阿修羅道の守護者です
阿修羅道は
「戦いを好み
ひとといさかいばかりしていたもの」が
おちる道、エネルギーの流です

ダキニ天は、神々のなかでは
もっとも複雑な面をもつかもしれません

彼女は餓鬼道の守護者です
彼女はオーソドックスな姿では
女性であらわれますが
まれに飢餓獣のすがたで
あらわれることもあります

かれらは
異界から来た
エネルギー体のおひとりです

特にダキニ天は
姿をきよめて洗い流すと、
獣と人のあいまのような
手足の長い毛の生えた
四足にかわられます

ダーキーニーはダキニ天が
管理している餓鬼ども(悪魔)の現れです

……

ダキニ天が
かかえている悪魔の領域(飢餓道)は
最大悪がいるエネルギー流です

「根本をたどれば
悪魔のエネルギーをかりて
特殊能力を使っている」ものたちは
なんらかのかたちで
ダキニ天、あるいは
他の異界からのエネルギー体と
契約を結ばれたのでしょう

かれらは
体のなかに、そうした「道」とよばれる
エネルギー流から
異能に使う「悪魔のエネルギー」を
くみあげる装置が
そなわっています

……

ダキニ天は飢餓道のものです

異界では
そのような飢えと、
喰いあいが「生命」だったといわれます

ダキニ天をこの世に内包するとき
神々はさまざまに四苦八苦されました
ダキニ天は食(己が存在するためにとりこむエネルギー)が
この地球の神々とは異なり
「(支配や搾取、暴力をともなう)
飢えを喰らう」神様だったからです

よだんですが
ダキニ天の守護を最大に受けると
この世の覇者になれるといわれるのは
ダキニ天が「飢え」のエネルギーを
看守、コントロールできるからです

ダキニ天が「活きる」場所は
支配と搾取、暴力をともなう
飢餓、すなわち彼女の食らう
エネルギーにみちあふれます

……
ダキニ天の内心は
かなしい孤立、孤独です

その胸に蠱毒とにた
最悪の呪いさえ
彼女は抱え持ちます
(彼女はそれで人を呪いますから
「呪毒」持ちのエネルギー体です)

ダキニ天が
この世にとらいしたとき
さまざまな形で
神々は彼女を「なじませよう」と
四苦八苦されましたが

食が食だけに
彼女をとると
この世はうえすさび
この世をとると
彼女は飢え……

(阿修羅もまた、
修羅をくうものなので
似たようなエネルギーの齟齬がありました
これはまたのちほど)

最終案として
神々はダキニ天を
「罪業者へのもの」と成しました

彼女は罪業者とむきあい
罪業者と、とりひきするかわりに
飢えをそこにおとし
また罪業者の魂を
彼女のエネルギー流にいれて
餓えさせつづけ
(一種の地獄ですね)
己をみたしています

……

ダキニ天を
神々は悪とはいいません

悪のための神といわれます

彼女もまた、この世の摂理であり
愛のあらわれだからです

ダキニ天もまた、神様のおひとり
悲しい話ですが
片恋のように
この世を愛されています

彼女は、神、神の管轄にあるひとたちとは
食べるもの、生命に良いエネルギーが
異なりますから
罪業者いがいは
共にいることはできません

そうした齟齬のうえで
あらわされる愛の形が
この世に生じる罪業者を
己の身にひきずりこむ形となる

彼女が罪業者ととりひきをするとき
罪業者のねがいを
ひとつだけ、かなえる
これはカルマの
エネルギーの対価交換です

逆に言えば「罪業者のこれから」のすべてで
清算が足りる「願い」だけしか
彼女はかなえることがありません
その人の持つ「これからのすべて」と
ひきかえなのです

つまり「世界の覇者」と夢見ても
「これからのすべて」が足りなければ
かなうことにはなりません……
「なんとなくそこらへんでトントン」なことになります

罪業者は
これからのすべて、
子々孫々にいたるまでのすべてを
「ねがい」として ダキニ天にひきわたし
かわりにダキニ天に
すべてを、くわれます

すりきれてなくなるまで
飢餓道で飢え、暴力にさらされ
彼女の腹をみたしつづけることになります

……

神とされたものは
すべて、この世への愛のあらわれです
なんらかの理由があり
そのような形でおさめられています

ダキニ天は
大黒天さま(シヴァ神)の管轄といわれます

……

異界からのとらいし
なおかつ、食に齟齬があるため
異形のやくわりを担ったかれらは
よく、悪魔といわれますが

悪魔とはまた違うものです

ただ、ダキニ天とつながる「飢餓道」には
最大最悪の悪魔がいます
(逆にいえば
ダキニ天はその最悪を
支配下におけるほどの力があるのでしょう)

……

私はダキニ天をみますたびに
中島みゆきの「エレーン」を思い出します……

……

日本は少し特殊なエネルギー界隈なのですが

ダキニ天が渡来したとき
大変な騒ぎであったようで
どうにかしずかにさせたらしいのですが
何十年もかかったといわれます

大黒天さまが現れ
くつわをかますがごとく
しばきつづけ
やがて
ダキニ天の「飢え」にたいし
「穀物の女神さま」である
ウカノミタマさまが
エネルギー体の、内包配下におさめ
やっとおさまったといわれます

お稲荷様のなかに
どすぐろく、おそろしいものが
たまにありますが

それはたぶん
ダキニ天のちからがつよまっていて
ダキニ天のエネルギーから
飢餓道や異界へのつながりが
強くなっているからかもしれません
2017-07-29 07:46:08
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